今回は、近年注目を集めている「ゼロトラスト」というセキュリティモデルについて、基礎から丁寧に解説していきます。
IT初心者の方やインフラエンジニアを目指す方にもわかりやすく、ゼロトラストの概念、従来型セキュリティとの違い、主要な技術要素、そして実際に使われているツールまでを包括的にご紹介します。
- ゼロトラストとは何か
- 従来型セキュリティ(境界型防御)との違い
- ゼロトラストが必要になった背景
- ゼロトラストの基本原則
- ゼロトラストを実現する主要な技術要素
- 多要素認証(MFA: Multi-Factor Authentication)
- アイデンティティ・アクセス管理(IAM: Identity and Access Management)
- ネットワークアクセス制御(NAC: Network Access Control)
- エンドポイント検出・対応(EDR: Endpoint Detection and Response)
- セキュアWebゲートウェイ(SWG: Secure Web Gateway)
- ソフトウェア定義境界(SDP: Software Defined Perimeter)
- ゼロトラストネットワークアクセス(ZTNA: Zero Trust Network Access)
- 代表的なゼロトラストツール・サービス
- ゼロトラストの構成例
- まとめ
ゼロトラストとは何か
ゼロトラスト(Zero Trust)とは、「すべてを信頼しない」という前提に基づいたセキュリティモデルです。これは「何も信用するな、常に検証せよ(Never Trust, Always Verify)」という原則を核としています。
従来のセキュリティでは、社内ネットワークに一度入ってしまえば、その中では比較的自由にアクセスできる状態でした。これは例えるなら、オフィスビルの入口で身分証をチェックされるものの、一度中に入ってしまえば、どの部屋にも自由に出入りできる状態と似ています。
一方、ゼロトラストは、ビルの中でも部屋ごとに毎回身分証をチェックされるような仕組みです。つまり、ネットワークの内側にいるからといって信頼せず、すべてのアクセスに対して常に認証・認可を行います。
従来型セキュリティ(境界型防御)との違い
境界型防御の考え方
従来のセキュリティモデルは「境界型防御(Perimeter Security)」と呼ばれ、以下のような特徴がありました:
- 内部ネットワークは安全:ファイアウォールの内側は信頼できる領域
- 外部は危険:インターネットなど外部ネットワークは脅威
- 境界での防御:入口でしっかり守れば、中は安全という前提
この考え方は、城壁で守られた城のようなもので、壁の外は敵だが、壁の中は味方という明確な区別がありました。
ゼロトラストの考え方
ゼロトラストでは、この「内部は安全」という前提を捨てます:
- すべてのアクセスを検証:内部・外部を問わず、すべてのアクセス要求を検証
- 最小権限の原則:必要最小限のアクセス権限のみを付与
- 継続的な監視:アクセス許可後も継続的に監視し、異常があれば即座に対処
なぜこのような考え方が必要になったのでしょうか?
ゼロトラストが必要になった背景
クラウド化の進展
現代の企業システムは、オンプレミス(自社内)だけでなく、AWS、Azure、Google Cloudなどのクラウド環境に分散しています。従来の「境界」という概念が曖昧になり、明確な防御線を引くことが難しくなりました。
リモートワークの普及
新型コロナウイルスの影響もあり、リモートワークが当たり前になりました。従業員が自宅やカフェなど、様々な場所から社内システムにアクセスするようになり、「社内ネットワーク」という境界自体が意味を持たなくなってきました。
内部脅威の増加
残念ながら、内部の従業員による情報漏洩や、標的型攻撃によって内部ネットワークに侵入されるケースが増えています。「内部は安全」という前提が成り立たなくなったのです。
デバイスの多様化
従業員が使用するデバイスも、会社支給のPCだけでなく、スマートフォン、タブレット、個人のノートPCなど多様化しています。すべてのデバイスを完全に管理・信頼することは困難です。
ゼロトラストの基本原則
ゼロトラストを実現するための基本原則をご紹介します。
1. すべてのリソースへのアクセスを検証
ファイルサーバー、データベース、アプリケーションなど、すべてのリソースへのアクセスに対して、認証・認可を行います。たとえ社内ネットワークからのアクセスであっても例外はありません。
2. 最小権限アクセス(Least Privilege)
ユーザーには、業務に必要な最小限の権限のみを付与します。例えば、人事部の社員に経理システムへのアクセス権は不要です。この原則により、仮に認証情報が漏洩しても、被害を最小限に抑えられます。
3. マイクロセグメンテーション
ネットワークを細かく分割(セグメント化)し、セグメント間の通信も厳格に制御します。これにより、万が一侵入されても、被害の拡大を防げます。
4. 継続的な監視と検証
アクセスを許可した後も、ユーザーの行動を継続的に監視します。普段と異なる挙動(例:深夜に大量のファイルをダウンロード)を検出したら、即座にアラートを出したりアクセスを遮断したりします。
5. すべてのトラフィックを記録・分析
すべてのネットワークトラフィック、アクセスログを記録し、分析します。これにより、異常な動きをいち早く検知し、インシデント発生時の原因究明にも役立ちます。
ゼロトラストを実現する主要な技術要素
ゼロトラストは単一の製品ではなく、複数の技術を組み合わせて実現します。
多要素認証(MFA: Multi-Factor Authentication)
パスワードだけでなく、スマートフォンアプリでの認証コード、生体認証(指紋・顔認証)など、複数の要素で本人確認を行います。たとえパスワードが漏れても、第二の認証要素がなければアクセスできません。
アイデンティティ・アクセス管理(IAM: Identity and Access Management)
誰が(ユーザー)、何に(リソース)、どのようにアクセスできるか(権限)を一元管理します。Active DirectoryやAzure AD、Oktaなどが代表的なIAMツールです。
ネットワークアクセス制御(NAC: Network Access Control)
デバイスがネットワークに接続する際、そのデバイスが企業のセキュリティポリシーに準拠しているか(OSが最新か、アンチウイルスが動いているかなど)を確認してからアクセスを許可します。
エンドポイント検出・対応(EDR: Endpoint Detection and Response)
PC、スマートフォンなどのエンドポイント(端末)での異常な動きを検出し、対応します。例えば、マルウェアの実行を検知したら即座に隔離します。
セキュアWebゲートウェイ(SWG: Secure Web Gateway)
Webアクセスを監視し、危険なサイトへのアクセスをブロックしたり、マルウェアのダウンロードを防いだりします。
ソフトウェア定義境界(SDP: Software Defined Perimeter)
アプリケーションやサービスを外部から見えないようにし、認証されたユーザーのみがアクセスできるようにします。VPNの次世代版とも言えます。
ゼロトラストネットワークアクセス(ZTNA: Zero Trust Network Access)
従来のVPNに代わる技術で、ネットワーク全体へのアクセスではなく、特定のアプリケーションへのアクセスのみを許可します。
代表的なゼロトラストツール・サービス
実際にゼロトラストを実現するための製品やサービスをご紹介します。
Microsoftのソリューション
- Azure Active Directory(Azure AD):IDとアクセス管理
- Microsoft Defender for Endpoint:エンドポイント保護
- Microsoft Intune:デバイス管理
- Conditional Access:条件付きアクセス制御
Microsoftは包括的なゼロトラストソリューションを提供しており、Office 365やAzureを使っている企業では導入しやすいでしょう。
Googleのソリューション
- BeyondCorp:Googleが自社で実践しているゼロトラストモデル
- Chrome Enterprise:ブラウザベースのセキュリティ
- Google Cloud Identity:ID管理
その他の主要ベンダー
- Okta:IDとアクセス管理のクラウドサービス
- Zscaler:クラウドベースのセキュリティプラットフォーム
- Palo Alto Networks(Prisma Access):ZTNA・SASEソリューション
- Cisco(Duo Security):多要素認証・アクセス管理
- CrowdStrike:エンドポイント保護(EDR)
- Cloudflare(Zero Trust):ネットワークセキュリティ
これらのツールは単独でも使えますが、複数を組み合わせることで、より強固なゼロトラスト環境を構築できます。
ゼロトラストの構成例
ここでは、実際にゼロトラストを導入する際の具体的な構成例をご紹介します。企業の規模や環境に応じて、段階的に導入していくことが一般的です。
構成例1:小規模企業向けの基本構成
対象:従業員50名以下、クラウドサービス中心の企業
主要コンポーネント:
- ID管理:Azure AD または Google Workspace
- 多要素認証(MFA):Azure ADの標準MFA または Google 2段階認証プロセス
- エンドポイント保護:Microsoft Defender または CrowdStrike Falcon(軽量版)
- 条件付きアクセス:Azure AD Conditional Access
- クラウドアプリケーション:Microsoft 365 または Google Workspace
アクセスの流れ:
- ユーザーがクラウドアプリケーションにアクセス
- Azure ADで認証(ID・パスワード)
- MFAによる二段階認証(スマホアプリで承認)
- デバイスの状態確認(OSバージョン、ウイルス対策ソフトの稼働状況)
- 問題なければアクセス許可、異常があれば拒否
この構成なら、初期費用を抑えながら、基本的なゼロトラストの考え方を実装できます。
構成例2:中規模企業向けの標準構成
対象:従業員100〜500名、オンプレミスとクラウドのハイブリッド環境
主要コンポーネント:
- ID管理:Azure AD(オンプレミスADと同期)
- 多要素認証:Azure MFA + 条件付きアクセスポリシー
- エンドポイント保護:Microsoft Defender for Endpoint + Intune(MDM)
- ネットワークアクセス:Zscaler Private Access(ZPA)またはPalo Alto Prisma Access
- セキュアWebゲートウェイ:Zscaler Internet Access(ZIA)
- SIEM/ログ分析:Microsoft Sentinel または Splunk
アクセスの流れ(社内アプリケーションへのアクセス):
- リモートワーク中の従業員が社内の業務システム(ERP)にアクセスしたい
- Zscaler ZPAのクライアントが起動、Azure ADで認証
- MFAによる認証(場所・デバイス・時間帯に応じたポリシー適用)
- デバイスのセキュリティ状態をIntuneで確認(パッチ適用状況、暗号化など)
- すべてクリアすれば、ERPアプリケーションのみへのアクセスを許可(ネットワーク全体には入れない)
- アクセスログはすべてSIEMに送信され、リアルタイムで異常検知
アクセスの流れ(インターネットアクセス):
- 従業員がWebサイトにアクセス
- すべてのトラフィックがZscaler ZIA経由
- URLフィルタリング、マルウェアスキャン、DLP(データ漏洩防止)を実施
- 問題なければアクセス許可
この構成では、VPNを完全に廃止し、アプリケーションごとのアクセス制御を実現できます。
構成例3:大規模企業向けの包括的構成
対象:従業員1,000名以上、複数拠点、グローバル展開
主要コンポーネント:
- ID管理:Okta(統合ID管理) + Azure AD(Microsoft製品用)
- 多要素認証:Okta Verify + YubiKey(物理セキュリティキー)
- エンドポイント保護:CrowdStrike Falcon + Microsoft Defender(多層防御)
- ZTNA:Cloudflare Zero Trust + Palo Alto Prisma Access
- CASB:Microsoft Defender for Cloud Apps(クラウドアプリの可視化・制御)
- SIEM:Splunk + Azure Sentinel
- 特権アクセス管理(PAM):CyberArk(管理者権限の厳格な管理)
- マイクロセグメンテーション:VMware NSX または Illumio
アクセスの流れ(管理者による重要システムへのアクセス):
- システム管理者が本番環境のデータベースサーバーにアクセス
- Oktaで認証 + YubiKeyによる物理認証
- CyberArkで特権アカウントをチェックアウト(一時的に権限を取得)
- アクセス元のIPアドレス、時刻、通常のアクセスパターンと比較
- 異常がなければアクセス許可
- すべての操作をビデオ録画、ログ記録
- 作業終了後、特権アカウントを自動でチェックイン(権限返却)
ネットワークセグメンテーション:
- 各部署、各アプリケーション、各データベースを細かくセグメント化
- セグメント間の通信は、明示的に許可されたもののみ
- 万が一、マルウェアに感染しても、横展開(他システムへの侵入)を防止
この構成は導入コストが高いですが、最高レベルのセキュリティを実現できます。
段階的な導入ステップ
ゼロトラストは一度に全部導入するのではなく、段階的に進めるのが現実的です。
フェーズ1:基礎の確立(3〜6ヶ月)
- 多要素認証(MFA)の全社展開
- ID管理の統合(Azure ADやOktaの導入)
- エンドポイント保護の強化
- アクセスログの収集開始
フェーズ2:アクセス制御の強化(6〜12ヶ月)
- 条件付きアクセスポリシーの設定
- 最小権限の原則の適用
- デバイス管理(MDM/MAM)の導入
- VPNからZTNAへの移行開始
フェーズ3:高度な防御(12〜24ヶ月)
- マイクロセグメンテーションの実装
- SIEM/SOCの構築
- 継続的な監視体制の確立
- インシデント対応プロセスの自動化
重要なのは、完璧を目指すのではなく、「できることから始める」ことです。
まとめ
ゼロトラストは、「すべてを信頼しない」という前提に立った次世代のセキュリティモデルです。クラウド化、リモートワークの普及、内部脅威の増加といった現代のIT環境の変化に対応するため、従来の境界型防御から大きく考え方を転換したものです。
実現には多要素認証、IAM、EDR、ZTNAなど、様々な技術を組み合わせる必要がありますが、Microsoft、Google、Oktaなど多くのベンダーがソリューションを提供しています。
ゼロトラストの導入は一朝一夕にはいきませんが、まずは多要素認証の導入や、最小権限の原則の徹底など、できることから始めることが重要です。セキュリティ環境が日々変化する中、ゼロトラストの考え方を理解しておくことは、これからのインフラエンジニアにとって必須の知識と言えるでしょう。

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